2005年 10月 20日
鬼無里村探訪(3) |
日本地名大辞典4 鬼無里村の項
長野県上水内(かみみのち)郡。長野市北方の山間の村で、面積135.64平方km。人口4千余。戸隠山の西麓から流出する裾花川の上流一帯を占め、人家は渓谷沿いの小平坦地に分布する。海抜730~850mの高冷地で、この辺り一帯は長野市の山の裏側に当たるところから裏山中とも呼ばれている。冬季は寒さ厳しく積雪量多い。第二次世界大戦ごろまでは大麻の生産が第一の現金収入源をなしたが、戦後衰退、これに変わってタバコが入り、今は養蚕とタバコとホップおよび若干の水稲や雑穀類を栽培する。裾花川沿いに長野市から入るバスで1.5時間。中心集落は町(まち)と呼ばれ日常品のための商店や旅館などがある。
昭和に入ってからの細かい資料は日本地誌11に譲るとして、この記事からは地勢的な俯瞰がなされていることが分かる。
(2)で触れたが、現在の鬼無里村は水芭蕉の観光地、というイメージがかなり強いが、この記事ではまったく触れられていない。これは少なくとも昭和のある一定の時期まで観光の対象として考えられていなかったということが分かる。付近の品沢高原が別荘地として開発されたのは昭和42年。このころから長野県の村落で人口減少が顕著になり、林業も立ち行かなくなって、鬼無里村も観光業に精を出すことにしたのかもしれない。
戦前は大麻の産地であったことも書かれている。麻薬は薬でもあるので、一概に判断することは難しいが、山間部だからこういったものが栽培されたのか。正直、他の村(他県含む)の状況と照らしてみないと分からない。ただ、現代に入ると大麻栽培をやめた、というのはそれまでの『日本』という国を考えると思わせぶりではある。
長野県上水内(かみみのち)郡。長野市北方の山間の村で、面積135.64平方km。人口4千余。戸隠山の西麓から流出する裾花川の上流一帯を占め、人家は渓谷沿いの小平坦地に分布する。海抜730~850mの高冷地で、この辺り一帯は長野市の山の裏側に当たるところから裏山中とも呼ばれている。冬季は寒さ厳しく積雪量多い。第二次世界大戦ごろまでは大麻の生産が第一の現金収入源をなしたが、戦後衰退、これに変わってタバコが入り、今は養蚕とタバコとホップおよび若干の水稲や雑穀類を栽培する。裾花川沿いに長野市から入るバスで1.5時間。中心集落は町(まち)と呼ばれ日常品のための商店や旅館などがある。
昭和に入ってからの細かい資料は日本地誌11に譲るとして、この記事からは地勢的な俯瞰がなされていることが分かる。
(2)で触れたが、現在の鬼無里村は水芭蕉の観光地、というイメージがかなり強いが、この記事ではまったく触れられていない。これは少なくとも昭和のある一定の時期まで観光の対象として考えられていなかったということが分かる。付近の品沢高原が別荘地として開発されたのは昭和42年。このころから長野県の村落で人口減少が顕著になり、林業も立ち行かなくなって、鬼無里村も観光業に精を出すことにしたのかもしれない。
戦前は大麻の産地であったことも書かれている。麻薬は薬でもあるので、一概に判断することは難しいが、山間部だからこういったものが栽培されたのか。正直、他の村(他県含む)の状況と照らしてみないと分からない。ただ、現代に入ると大麻栽培をやめた、というのはそれまでの『日本』という国を考えると思わせぶりではある。
by scluge
| 2005-10-20 16:31
| 史研メモ