2006年 02月 14日
片倉邦雄『アラビスト外交官の中東回想録』(1) ≪危機管理≫ |
本書の副題は『湾岸危機からイラク戦争まで』です。まずは抜き書きから。
第2部 湾岸危機の体験
118ページ
国際政治における『危機』現象も、本来予知そして予防できるはずといわれるが、実際には意表をつく形で発生するのだ。八方、情報収集のクモの巣を張っていても、危機は網の目をくぐって勃発する。それは政策決定権を握っているリーダー、特に独裁者の胸三寸は読み取ることは難しいからだ。いかに外交的努力しても政策決定者の計算の誤り、相手の反応の読み違いまで完全に把握することはできない。
問題は最小のリスクでこの危機をくぐり抜けることだ。前門のトラ、校門のオオカミ。どちらへ行ってもリスクはあるが、与えられた情況において、もち合わせの装備と資源、そして時間を最大限に利用して、瞬時に最小限のリスクを選択する、……これが危機管理の要諦ではないだろか。
渦中にない「第三者」はなぜ危機を予見できなかったかと当事者の責任を追及するが、当事者としては、言いわけをする余裕はない。また、言いわけしてはならない。ベストを尽くすほかない。
119ページ
何事にもパーフェクト・ゲームはありえない。与件のなかで最小のリスク、最大限の安全を求める外にない。外部には、いろいろなことを言う人はいるだろうが、場合によっては引く勇気が求められる。
この渦中にあって、日本人の一人ひとりが生命がけで考えたことは、日本人としての誇り、生きがいであり、それは、現在、世界各地での国際貢献へ至る選択肢の原点だと言って過言ではない。
180ページ
「決して喜んで人質の身になったわけではないが、平和解決のために、この生命が役立つなら喜々として捧げる日本人としての覚悟はすでにできている。われわれは日本が確固たる独自の外交策を打ち出し敢然とそれを実行するなら、我々の解放が諸外国の人質に比して何年になろうと最後になろうと、あるいは命さえ奪われても義のために死すことを潔しとする確信をもち、我々の家族もそれを感得することができよう」という趣旨の胸をうつ手紙(東京海上火災長尾健)も(収容所の人質から)送られてきた。
1990年8月。筆者片倉邦雄氏は、湾岸戦争勃発当時、駐イラク大使です。イラク・フセイン大統領や同国幹部との折衝の様子も生々しく書かれているのですが、国を背負って立つ外交官というのは大変だなぁ…と素人丸出しの感想を漏らしつつ読んでいます。
第2部 湾岸危機の体験
118ページ
国際政治における『危機』現象も、本来予知そして予防できるはずといわれるが、実際には意表をつく形で発生するのだ。八方、情報収集のクモの巣を張っていても、危機は網の目をくぐって勃発する。それは政策決定権を握っているリーダー、特に独裁者の胸三寸は読み取ることは難しいからだ。いかに外交的努力しても政策決定者の計算の誤り、相手の反応の読み違いまで完全に把握することはできない。
問題は最小のリスクでこの危機をくぐり抜けることだ。前門のトラ、校門のオオカミ。どちらへ行ってもリスクはあるが、与えられた情況において、もち合わせの装備と資源、そして時間を最大限に利用して、瞬時に最小限のリスクを選択する、……これが危機管理の要諦ではないだろか。
渦中にない「第三者」はなぜ危機を予見できなかったかと当事者の責任を追及するが、当事者としては、言いわけをする余裕はない。また、言いわけしてはならない。ベストを尽くすほかない。
119ページ
何事にもパーフェクト・ゲームはありえない。与件のなかで最小のリスク、最大限の安全を求める外にない。外部には、いろいろなことを言う人はいるだろうが、場合によっては引く勇気が求められる。
のちのペルー・リマ大使館占拠事件、2001年米同時多発テロ、イラクでの日本人拉致・人質事件のことを想起させる文章ですね。責任者には自国民の安全と人命尊重が原則とされるのですが、そこに介入してくるのが『国家のメンツ・立場』。このあとのページでは、まさに薄氷を踏むような状況の記述が続きます。179ページ
この渦中にあって、日本人の一人ひとりが生命がけで考えたことは、日本人としての誇り、生きがいであり、それは、現在、世界各地での国際貢献へ至る選択肢の原点だと言って過言ではない。
180ページ
「決して喜んで人質の身になったわけではないが、平和解決のために、この生命が役立つなら喜々として捧げる日本人としての覚悟はすでにできている。われわれは日本が確固たる独自の外交策を打ち出し敢然とそれを実行するなら、我々の解放が諸外国の人質に比して何年になろうと最後になろうと、あるいは命さえ奪われても義のために死すことを潔しとする確信をもち、我々の家族もそれを感得することができよう」という趣旨の胸をうつ手紙(東京海上火災長尾健)も(収容所の人質から)送られてきた。
人が「国」を意識するのはどんなときでしょうか。そのひとつがこういうときなのかな、と感じさせる文章です。ただ、(批判するつもりは毛頭ないのですが)長尾さんの手紙の文章だと、あまりに悲壮で『大和』だったり『神風特別攻撃自爆隊』を思い起こさせます。しかし、そう思うのは自分が、上の記述での『第三者』だったり『十五年経ってから見る者』という立場だったりするからだとも思います。歴史屋は当事者になってもいけないし、また単なる第三者では何のために歴史を学ぶのか分かりません。この辺の境界もなかなか難しいです。
このときのイラク危機では日本人の人質は全員無事に解放されました。
1990年8月。筆者片倉邦雄氏は、湾岸戦争勃発当時、駐イラク大使です。イラク・フセイン大統領や同国幹部との折衝の様子も生々しく書かれているのですが、国を背負って立つ外交官というのは大変だなぁ…と素人丸出しの感想を漏らしつつ読んでいます。
by scluge
| 2006-02-14 22:48
| 本読風情