2007年 06月 22日
先延ばしはお家芸? |
国のやることなんでいつものこととは言え…選挙が後ろにずれて夏休みが近くなりすぎると(というか夏休み中か)、実家に帰れなくなりって不在者投票すらできなくなることに。しまった、これは与党の思惑通り…って、政治家がそんなんでいいのかねぇ…?
まぁ、延びた分無駄に税金が使われることを誰か追求してほしいのに、誰もしないのはどういうことなのやら。
のっけから愚痴ですみませんでした。ノートPCの再インストをした関係で、いろいろとフラストレーションが(笑) つか、先延ばしはブタベもいつもやってるような…(^^;
ちょっと前に描いたフィーナの絵から。彼女を描く場合、カテリナの制服が一番気楽ですね。
ずいぶん前にも似たような構図で描いた記憶がありますが…時がたつと描き方も変わるなぁ、と。上手くなってるわけではないのが凹むところなんですが(^^;
メイド麻巳(?)の修正版、といってもお盆の文字を消しただけですが。やっぱりこの方がすっきりします(お皿を持ってるみたいにも見えますが)。
さて、どういう状況なのか…この辺は追々マク様や早坂様が文章にしてくれるでしょう(をい
○
本日(22日)付の天声人語から。
おそらく当人たちも分かっていて、落胆せざるを得なかったんだと思うのですが、その辺も含めてあえてメモ用に書きます。
戦後60年たって、数多くの平和運動(今回は狭義の対核・対基地運動とします)があって、今も続いていて、それらの運動の成果がどれほどあったのだろうか、ということを考えると、少なくとも70年代の終わりに生まれたブタベや、それより若い人にとっては首を捻ることのほうが多いはずです。
無論、それなりに実績があったことは知っていますが、今の日本政府の政策状況を見る限り、『お手々つないで基地を取り囲むだけ』という示威行動に参加しても、無意味とは思わなくても、たぶん虚脱感を感じるだけでしょう(実際、これをやって何かが動くとは思えないし、事実何も起きてない)。たぶん参加者の大方はそれなりに年をとった方だと思いますが(あくまで憶測です)、沖縄戦を肌で感じていない世代にとって、『今まで』と同じ運動には引きつけられないというのが、今回足りなかった3キロに表れているのではないかと思います。
平和運動に即効性を求めるのは無論、(確実に)間違いです。平和の実現と継続の難しさは、ユネスコの謳う『平和の砦』の具体的な築き方が、いまだにどこも提唱できていないことからも分かります。ただ、これからあと40年、平和運動を続けるためには、太平洋戦争を知らない世代をひきつける『理想』や『方法論』といったものも必要になってくるのでしょう。
9・11のときに起きた火のような平和への(戦闘的)行動ではなく、永続的な、それこそ日々の生活と同じレベルの方向性が必要なのかもしれません。ただ、その具体的なイメージがまだないだけで…。まるでレノンの『イマジン』のようなものですが。
そんなことを、パレスチナが完全に二つに分かれてしまった状況に嘆息しながら思いました。
まぁ、延びた分無駄に税金が使われることを誰か追求してほしいのに、誰もしないのはどういうことなのやら。
のっけから愚痴ですみませんでした。ノートPCの再インストをした関係で、いろいろとフラストレーションが(笑) つか、先延ばしはブタベもいつもやってるような…(^^;
ちょっと前に描いたフィーナの絵から。彼女を描く場合、カテリナの制服が一番気楽ですね。
ずいぶん前にも似たような構図で描いた記憶がありますが…時がたつと描き方も変わるなぁ、と。上手くなってるわけではないのが凹むところなんですが(^^;
メイド麻巳(?)の修正版、といってもお盆の文字を消しただけですが。やっぱりこの方がすっきりします(お皿を持ってるみたいにも見えますが)。
さて、どういう状況なのか…この辺は追々マク様や早坂様が文章にしてくれるでしょう(をい
本日(22日)付の天声人語から。
「基地の島」の象徴が嘉手納(米軍基地)である。先月、周囲17.5キロを手をつないで包囲し、平和を訴える「人間の鎖」があった。だが参加者が3キロ分ほど足りず、鎖は途切れた。80年代から4度目だが、初めてのことという。「平和への思いが薄れたのか」と、多くが落胆したそうだ。
おそらく当人たちも分かっていて、落胆せざるを得なかったんだと思うのですが、その辺も含めてあえてメモ用に書きます。
戦後60年たって、数多くの平和運動(今回は狭義の対核・対基地運動とします)があって、今も続いていて、それらの運動の成果がどれほどあったのだろうか、ということを考えると、少なくとも70年代の終わりに生まれたブタベや、それより若い人にとっては首を捻ることのほうが多いはずです。
無論、それなりに実績があったことは知っていますが、今の日本政府の政策状況を見る限り、『お手々つないで基地を取り囲むだけ』という示威行動に参加しても、無意味とは思わなくても、たぶん虚脱感を感じるだけでしょう(実際、これをやって何かが動くとは思えないし、事実何も起きてない)。たぶん参加者の大方はそれなりに年をとった方だと思いますが(あくまで憶測です)、沖縄戦を肌で感じていない世代にとって、『今まで』と同じ運動には引きつけられないというのが、今回足りなかった3キロに表れているのではないかと思います。
平和運動に即効性を求めるのは無論、(確実に)間違いです。平和の実現と継続の難しさは、ユネスコの謳う『平和の砦』の具体的な築き方が、いまだにどこも提唱できていないことからも分かります。ただ、これからあと40年、平和運動を続けるためには、太平洋戦争を知らない世代をひきつける『理想』や『方法論』といったものも必要になってくるのでしょう。
9・11のときに起きた火のような平和への(戦闘的)行動ではなく、永続的な、それこそ日々の生活と同じレベルの方向性が必要なのかもしれません。ただ、その具体的なイメージがまだないだけで…。まるでレノンの『イマジン』のようなものですが。
そんなことを、パレスチナが完全に二つに分かれてしまった状況に嘆息しながら思いました。
by scluge
| 2007-06-22 05:17
| 絵