2005年 10月 20日
“コメント”とは如何に? |
色々参考にするために、エキサイトブログの他の記事も巡ったりしているのですが、やっぱり時々『?』と思うこともあります。
そのひとつが先ほど見てしまった、某ブログのコメント。ゴタゴタしたくは無いので、ブログ名は書きませんが、そこのコメントの中に『なぜ、消した』というものがありました。チラッと見てみると、本文へのコメントが管理者の意図とずれていたらしく消したみたいなのですが、それ(勝手に消したこと)に対してコメントした人は怒っている、ということです。その後、『なぜ、消した』の後に、管理者さんの冷静なコメントが続き(おそらく)収まったみたいですが、私としては釈然としませんでした。
コメントの人は荒らしだと思われた、と解釈したらしいです。前のコメントは消されているので、状況は推測するしかありませんが、コメントの中に「現実を受け止めて性格を直せ」という文章を見ると、『名無しの癖に何を言うか』という気分がちょいと出てきてしまいます。まず、HNでもいいから自分が誰なのかを明示するのがマナーではないのか、と。また、消された、という事実があるということはコメントがブログを書いている人にとっては意にそぐわないんだな、と冷静に受け止めるくらい出来ないのか、と思ってしまいます。自分のコメントはすべて相手にとって良いものとは限らないのですから。
こういうことはある意味、ブログの構造上、仕方ないのかもしれません。ブログの構造で特徴的なのは掲示板同様どのブログにも誰でもコメントやトラックバックを出来る、ということです。そして、コメントはどんな文章でも可能だ、ということ。悪意を持ったものもそうでないものもすべて、です。コメントをする側にある程度の節度とマナーが無い場合には、争論にも発展しかねない可能性を秘めたものがこのブログというツールなのだと思ったのが今回の一件でした。
インターネットの相互性の一里塚として、ブログは大流行していますが、使う側がどれだけそれに合わせて進化できているのか、考えながらこれからもブログの世界を見ていきたいと思うのです。
そのひとつが先ほど見てしまった、某ブログのコメント。ゴタゴタしたくは無いので、ブログ名は書きませんが、そこのコメントの中に『なぜ、消した』というものがありました。チラッと見てみると、本文へのコメントが管理者の意図とずれていたらしく消したみたいなのですが、それ(勝手に消したこと)に対してコメントした人は怒っている、ということです。その後、『なぜ、消した』の後に、管理者さんの冷静なコメントが続き(おそらく)収まったみたいですが、私としては釈然としませんでした。
コメントの人は荒らしだと思われた、と解釈したらしいです。前のコメントは消されているので、状況は推測するしかありませんが、コメントの中に「現実を受け止めて性格を直せ」という文章を見ると、『名無しの癖に何を言うか』という気分がちょいと出てきてしまいます。まず、HNでもいいから自分が誰なのかを明示するのがマナーではないのか、と。また、消された、という事実があるということはコメントがブログを書いている人にとっては意にそぐわないんだな、と冷静に受け止めるくらい出来ないのか、と思ってしまいます。自分のコメントはすべて相手にとって良いものとは限らないのですから。
こういうことはある意味、ブログの構造上、仕方ないのかもしれません。ブログの構造で特徴的なのは掲示板同様どのブログにも誰でもコメントやトラックバックを出来る、ということです。そして、コメントはどんな文章でも可能だ、ということ。悪意を持ったものもそうでないものもすべて、です。コメントをする側にある程度の節度とマナーが無い場合には、争論にも発展しかねない可能性を秘めたものがこのブログというツールなのだと思ったのが今回の一件でした。
インターネットの相互性の一里塚として、ブログは大流行していますが、使う側がどれだけそれに合わせて進化できているのか、考えながらこれからもブログの世界を見ていきたいと思うのです。
by scluge
| 2005-10-20 03:21