2006年 01月 16日
『大日本年表』 序 |
【序】
それ年表の修史におけるは、なお羅針盤の航海におけるがごときか。渺茫たる史海に航して、かくその指針を示すものは年表なり。史実の考証論断に当たりて、これを前後の年月に徴し、これを周囲の形勢に照して、その観察の正鵠を得んが為めに、暫くも座右に欠くべからざるものは年表なり。本邦古来年表の世に著れたるもの少なからず。夙《つと》く延暦年間に七大寺年表の撰あり。しかれども、これ固より特殊のものに係り、今のいわゆる年表とはその類を異にす。この後皇代記、皇年代略記の皇家を中心にしたる、泰平年表・武江年表の江戸幕府を中心にしたるなど相ついで出でたり。しこうしてその形式の今のいわゆる年表に近きものは、和漢合符及び和漢合運をもってその初とせんか。この二書は室町時代中期禅僧の手に成れるもののごとく、慶長年間に至り、日蓮宗の学僧要法寺円智日性は和漢合運を刊刻して世に弘布したり。この後寛政年間には蘆屋山人の和漢年契出で、尋で嘉永年間には清宮秀堅の新撰年表公にせられ、爾来学者多くその便を享けたり。しこうして明治の大御代より今日に至りては、この種年表の編せられたるもの夥しく、それぞれその特色を備えて利用の範囲いよいよ大なり。
ここに大日本図書株式会社は、明治二十三年創立以来業務年を逐うてますます盛んに、今年に至り正に五十年を重ね、基礎いよいよ堅きを加う。社長杉山常次郎氏等は、おもむろに過ぎ来し跡を回顧して、この社運の隆昌がひとえに昭代の恵沢に依るを思い、これを記念すると共に、聊《いささ》か感謝の微衷を表せんと欲す。時たまたま皇紀二千六百年を迎うるに会す。すなわち併せてこの佳節を慶祝せんが為めに、国史年表を発刊して、もって学者教育者座右の伴侶と為さんとし、予に嘱するにその編纂の事をもってす。予その世を益するところ少なからざるべきを思い、すなわち東京帝国大学史料編纂所員岡山泰四・片山勝両氏の助を假《か》り、聊か今案を創め、多少の新意を加えて、もってこの稿を成せり。その結構の巨細は凡例これを悉《つく》さん。
この書大日本年表世に出でて、悠久なる国史進展の事暦を綜覧し、もって昭代国家興隆の淵源深くかつ遠きものあるを知るにおいて裨補する所あらば、幸これに過ぎず。
昭和十五年十二月
辻善之助
それ年表の修史におけるは、なお羅針盤の航海におけるがごときか。渺茫たる史海に航して、かくその指針を示すものは年表なり。史実の考証論断に当たりて、これを前後の年月に徴し、これを周囲の形勢に照して、その観察の正鵠を得んが為めに、暫くも座右に欠くべからざるものは年表なり。本邦古来年表の世に著れたるもの少なからず。夙《つと》く延暦年間に七大寺年表の撰あり。しかれども、これ固より特殊のものに係り、今のいわゆる年表とはその類を異にす。この後皇代記、皇年代略記の皇家を中心にしたる、泰平年表・武江年表の江戸幕府を中心にしたるなど相ついで出でたり。しこうしてその形式の今のいわゆる年表に近きものは、和漢合符及び和漢合運をもってその初とせんか。この二書は室町時代中期禅僧の手に成れるもののごとく、慶長年間に至り、日蓮宗の学僧要法寺円智日性は和漢合運を刊刻して世に弘布したり。この後寛政年間には蘆屋山人の和漢年契出で、尋で嘉永年間には清宮秀堅の新撰年表公にせられ、爾来学者多くその便を享けたり。しこうして明治の大御代より今日に至りては、この種年表の編せられたるもの夥しく、それぞれその特色を備えて利用の範囲いよいよ大なり。
ここに大日本図書株式会社は、明治二十三年創立以来業務年を逐うてますます盛んに、今年に至り正に五十年を重ね、基礎いよいよ堅きを加う。社長杉山常次郎氏等は、おもむろに過ぎ来し跡を回顧して、この社運の隆昌がひとえに昭代の恵沢に依るを思い、これを記念すると共に、聊《いささ》か感謝の微衷を表せんと欲す。時たまたま皇紀二千六百年を迎うるに会す。すなわち併せてこの佳節を慶祝せんが為めに、国史年表を発刊して、もって学者教育者座右の伴侶と為さんとし、予に嘱するにその編纂の事をもってす。予その世を益するところ少なからざるべきを思い、すなわち東京帝国大学史料編纂所員岡山泰四・片山勝両氏の助を假《か》り、聊か今案を創め、多少の新意を加えて、もってこの稿を成せり。その結構の巨細は凡例これを悉《つく》さん。
この書大日本年表世に出でて、悠久なる国史進展の事暦を綜覧し、もって昭代国家興隆の淵源深くかつ遠きものあるを知るにおいて裨補する所あらば、幸これに過ぎず。
昭和十五年十二月
辻善之助
by scluge
| 2006-01-16 22:56